1年前を振り返る

1年前の日記を読み返してみた。

去年は我が子はBTSだったのか。今もBTSだが一番は違うらしい。いずれにしても韓国が大好きな感じで、韓国びいきだ。

昨日、晩御飯を食べていた某レストランで、店員さんが運んでいたグラスを落としてしまったのを見た韓国の人(我が子があの家族は韓国語話していたといっていたから勝手にそう思っているだけだが)が、「大丈夫ですか?」と店員さんに声かけていた。それを見た我が子は、「やっぱり韓国の人は違う!!周囲に対する気配りがすごい!!日本人はだめだ」と自分のことはさておき日本人批判をしていた。「じゃあ、見習って次からは声かけたら」というと、「私は子どもだから」と逃げる。やれやれ。

 

しかし、我が子ももう13歳か。私も48歳だwwww

時がたつのは早い。近所の小学生なんかをみると、「あんな時期もあったなあ、かわいかったなあ」と思うが、そのころに戻りたいかというと戻りたくはない。今の我が子が大好きだから。

その時その時が一番なのだと思う。

 

できるだけ悔いのない人生を一所懸命生きたい。そして毎日笑顔で過ごしたい。けんかはするけど、二人きりの家族も悪くはないぞ。

ようやくそう思えるようになった。

私も自分自身に対して、我が子に対して、ちゃんと責任をもって生きていくのだ。

来週の後半は新しい家だ。

幸せな家をつくっていきたい。

タワレコ

子どもの日

我が子の希望で天神パルコのタワレコ

この前佐賀に行ったとき、佐賀のタワレコでも一つ買わされた。

一か月くらい前も博多のタワレコでなんか買わされた。

だから、今日は一つしか買わない、と言った。

決まったらレジ前まで来てと言って、レジの前で待つ。

なかなか来ない、しびれをきらし、途中まで迎えに行ったら、CDを3つ抱えてやってきた。

決められない、と。

買うけど、その代わり服は買わないぞというと、もう服はいい、こっちが欲しい、と。

結局、3枚のCDを買った。

しかし、いまどきCDかよ、と思いながら。

こんな時代に、スマホ一つ持ってたら、音楽なんてなんでも聴けるじゃないかと。

CDなんて私の時代だ。

 

私もよく通っていた、タワレコHMV

気が付けばCDの山だった。

引っ越しするたびに、本と一緒で売ったり処分したりで、今はもうあまり残っていない。

無駄だなあと思いながらも、我が子がCDを購入しているのを見て、結局人は同じことを繰り返していくのだ、その中で、ほんの少しずつしか進歩しない。いや、進歩なんてしていないのでは。

 

昨日、テレビのインタビューに答えていたウクライナの兄弟を思い出した。

17歳の兄は、「ウクライナのために戦いたい」、15歳の弟は、「戦っても無意味だ。もっと別の方法で、戦わない方法で解決したい」二人には「早く戦争を終わらせたい」という共通の気持ちはあるのだが、こんなに意見が分かれている。弟の意見がまっとうに思えるけど、「別の方法」では歯が立たない相手なのかもしれない。

 

歴史は繰り返している。人は全く進歩していない。

このどうしようもない世界に私たちは生きている。

環境問題も、SDGsも、兵器で戦っている間は無意味だ。

ミサイルを一つ飛ばすのにどれだけのエネルギーを浪費しているのか。

このミサイルは海に落ちた後は自然にかえるため、環境にやさしい廃棄物です、と誰が言えるのだろうか。

人間はおろかだ。

2000年前の人間から何一つ進歩していない。

そんなことを帰りの車で考えた。

結局人なんて、自己中なのだ。

自己中だから、こんな世の中になる。

 

ほんの一瞬でもいいからすべての人が、同じ瞬間に優しい心をもつことができたら、同じ音楽を聴いて心を通わせることができたら、戦争なんて起きないのかもしれない。

 

No music, No life

 

このフレーズは私の時代も、我が子の世代にもタワレコに存在している。

卒業

我が子がお風呂からあがってきたら、お祝いをする。

卒業祝いだ。

 

卒業式が終わった。

我が子は中学校の制服で参列した。

最近は小学生でも袴の卒業式らしい。

幸いなことに荒尾市は、袴は禁止だった。

中学校・高校は制服だから式の服装の心配をするのも必要なさそうだ。

我が子が望むならやってあげたいが、お金がかかるとちょっと(だいぶ)困る。

アルバイトでもしようかな、最近そんなことも考えた。

 

我が子の後姿を見ながら式中過ごした。

証書をもらうときも堂々としたものだった。

証書を一人ずつ渡すとき、校長先生は生徒一人一人に、「君のこんなところが素晴らしかった」と言っていた。心のこもった式だった。

担任の先生からも、一人一人に手書きの手紙が渡された。

改めて、この小学校でよかったと思った。

 

式が終了してから1時間も友だちと撮影会が繰り広げられた。

親はもう疲れ切っていたが、子どもたちは元気いっぱいだった。

明日はみんなで記念にグリーンランドに行くらしい。

 

改めて、私も頑張ろうと思った。

少しでも給料が上がるよう精一杯頑張ろう。

 

帰って、寧々を抱きしめた。

抱っこしようと思ったが、もう私と同じくらいの大きさになってるから、それはできなかった。

校長先生が、式辞で言っていた。乳児期は肌をはなさない、幼児期は肌ははなしても手ははなさない、学童期は手ははなしても目ははなさない、思春期は目ははなしても心ははなさない。

今もすでに目は離れているかもしれない。スマホももってるから。

でも心をはなしたことはないし、これからもはなさない。

だから、楽しい思春期を送ってね。

 

今日が節目の日だ。

また明日から頑張っていこう。

6年という月日

明日は我が子の小学校の卒業式だ。

今の担任の先生は写真が趣味のようで、子どもたちのたくさんの写真を編集してくれた。写真をYoutubeで見ながら、この学校に転校できてよかったと思った。

5年生の6月からだから約2年間しか通わなかった学校だけど、特に6年生になってからは、学校が楽しくてしょうがない、という感じで毎日元気に通っていた。

そんな日々も明日で終わる。

6年間ってあっという間だな。

 

6年前の3月26日は保育園の卒園式だった。

そういえば、卒園した保育園も途中からだった。年中さんの7月からだったかな。

年中さんになった4月に宇部に引っ越したんだった。

引っ越しが急に決まったから、すぐに入れる保育園がなくて最初は幼稚園だった。その幼稚園になかなか馴染めず、いつもぶすっとして通ってた。

毎日朝がつらかった。

夏に保育園に変わってからは、初日からすぐに馴染んで、迎えに行ったら笑顔で出てきた。朝がつらくなくなった。

年長さんの4月8日の朝、いつものとおり、車で保育園に向かっている途中、我が子が「今日、ねね(我が子のこと)、おさいふもってくるのわすれたから、こんど、おさいふもってでたときに(ママの誕生日)プレゼントかうからまってて」なんて言った。我が子の財布にお金なんてはいってたっけ?なんて思いながらも、泣きそうになった。うれしかった。

 

小学校は、慣れるまでが朝は大変だった。

毎朝、友だちと合流するところまで送っていき、坂を上るまで見送る。

そんな日々が3か月くらい続いた。

いつの間にか、そんなことしなくてよくなった。

友だちもたくさんうちに遊びに来るようになった。

3年生になると、学校バザーも友だちとまわるようになって、夏祭りも友だちと行くなんて言い出して。

4年生は音楽祭があって、リハーサルの時、綺麗な白いシャツを準備し忘れて、一人だけプーさんのトレーナーを着て目立ったこともあった。あの時のプーさんのトレーナーは未だに捨てられず、ママのタンスにしまってある。見るたびに思い出す、ごめんね、って。

そして、4年生も終わりかけたころにコロナが流行った。

しばらく職場の学童、ヤマミィに行ったけど、そこでもすぐに友だちができて、楽しく過ごせてた。

小羽山での5年生はほとんど学校に行けず、転校が決まった。

学校が変わることをなかなか受け入れられず、二人で泣いてた。

なんでこんなことになったのだろうと、二人で泣いた。

転校手続きをとるために、新しい学校に二人で行って、担任の先生と教頭先生から説明をしてもらった。「わからないことはないですか」と聞かれたときに、「急に決まった転校で、私も我が子もこの状況を受け入れ切れていない」と言ってまた二人で泣いた。担任の先生も教頭先生も困っていたけど、私の転勤の理由とか、何も聞かず「大丈夫、すぐ慣れますよ」と言ってくれた。

先生たちの言ってくれたとおり、すぐに慣れたし、友だちもできた。

でも、やっぱり宇部がいい、そんな日々がしばらく続いた。

5年の夏休み、コロナのせいで、2週間くらいしかなかったけど、友だちと遊ぶこともできず、私も仕事で、我が子はたった一人でこの家で過ごしていた。

夏休みが終わってすぐに、コロナの濃厚接触者になって学級閉鎖、2週間我が子はまた一人でこの家で過ごした。

やりきれなくなったことも何度もあった。

 

そして、仕事が早朝からある時は、我が子を残して出勤しなければいけなかったこともあった。電車の中で、LINEしながら我が子を送り出す。なんで、引っ越した、と思ったりもした。

6年生の夏休み明けくらいかなあ、我が子は宇部が良かった、宇部に帰りたいと言わなくなった。宇部の友だちに会いたいとも言わなくなった。今の学校が楽しい、と。

6年1組でよかったと。

中学校もここでいい、と。

もう引っ越さなくていい、と。

 

今年の早朝出勤は、我が子を起こさず家を出た。

途中の電車で、今起きた、とLINEがくる。朝ごはんも自分で準備して食べた。

身支度して登校、6年生にはなんてことはなかったみたい。

早朝出勤して、我が子を置いて家を出たら、大泣きしてたのも過去のこと。

 

時間がすべてを解決してくれる。

私も我が子もここでの生活に慣れて、ここで生きていくと決心がついた。

 

神様、この普通の幸せが、いつまでも続きますようにお守りください。

 

明日は、心していなかないと、涙がとまらないかもしれない。

 

 

 

 

大きな夢と小さな夢

3月は行事が多い。特に今年は盛沢山だ。

もう中旬を超えたから、盛沢山な行事もあと一つ。

今週はけっこう山だった。

 

行事がたくさんある中、3回目のワクチンも打った。

前2回とも、腕の痛みくらいで済んでたから今回も甘くみていた。

しかし、3回目はタダでは終わらなかった。

打った翌日に発熱、39度まででた。数年前のインフル罹患以来の高熱だ。

そして、解熱後も頭痛と腕、リンパの痛みに悩まされた。

これがずっと続いたら今週の重要な行事に行けない、なんて不安になったが、症状は3日でおさまり、無事に17日を迎えた。

 

3月17日は、長い6年間の節目の日だったから、晴れ晴れとした気持ちで出席できるかとも思ったけど、あんまり晴れ晴れとした気持ちでは迎えられなかった。

6年間の出来事を思い返して、自己嫌悪にも陥った。

もう少し、こうすればよかった、ああすればよかった、式中後悔ばかりがよぎった。

帰ってから、とりあえず、我が子と二人でお祝いした。

でもお祝いモードにはなれなかった。

 

結局どうすればよかったのか、今となっては分からない。でも何とか学位はとれたし、何とかなりはした。

もう過去は忘れてこれからどう生きるか、それにかかっているのだろう。この6年間は決して無駄ではなかった。とても勉強になった6年間だった。でもここまですっきりしない終わり方は初めてかもしれない。

 

じゃあこれからどうするのだということだろう、結局は。

福山雅治の歌、思い出した。

生きてる生きてく

 

「大きな夢を一つもってた。

恥ずかしいくらいばかげた夢を

そしたらなぜか、小さい夢がかなってた」

 

こんな感じの歌詞だった。

私の大きな夢は、小さい夢をかなえてくれるだろうか。

 

そうあってほしい、強くそう思った。

 

マリオカート

我が子の”推し”はBTSらしい。

いつからファンになったのかわからないけど、我が子の部屋はBTSグッズであふれている。昨日、福岡の某所で展示会があった。展示会ってなんだ、って思いながら行ったけど、BTSの写真やら衣装やらいろいろ展示されていた。美術館的な感じ?

いずれにしても、去年の年末に我が子に言われるがままに、予約チケットを入手し、この日を迎えた。コロナの関係で、入場制限がされているのだろうけど、チケット取るのは結構難しいらしい。確かに、我々がチケット取りに取り掛かったときにはすでに、のこりわずかという表示がされていた。

我が子は12歳なので、さすがに勝手に行ってこいとはいえず、自分もチケットを買っていく羽目になった。

でも、久しぶりの福岡で、しかも久しぶりに車で行ったので、かなり楽しかった。

BTS展示会は百道方面であったから、都市高速は西公園でおりた。でもこっち側の都市高速、初めて通ったけど、すごかった。

 

展示会の後は、キャナルに行った。

キャナルも何年ぶりだろう。

とても楽しかった。

また行きたい。

 

楽しかった多くの理由は、久しぶりの外出だったということと、波乱万丈だったということだからか。

出発前は、車のバッテリーが上がって、エンジンがかからなかった(1週間ぶりに運転したから)。

都市高速は、マリオカートみたいだった。

キャナルのエレベーターに乗ろうとしたら、我が子だけが乗り、自分は乗り遅れて、扉が閉まってしまったこと

 

来月は、くまモン誕生祭

 

楽しみが増えた。

 

今の気持ち

学位の目途もたったし、だいぶいろんなことが安定してきた。

安定しないのは、自分の心だけかな。

 

占いにも頼りたくなる。

でも占いも一緒だ。

指針にはなるかもしれないが、すべて信じてもいけない。

期待するようなこと言われたけど、真実はどこにもないのだ。

事実に変わることもない。

冷静にならなければ。

 

どうしようもない気持ちを抱えて、過ごすしかないのかな。

3月が終われば、すべて終わるのかな。

うまくいくはずはないのだけれど、期待してしまう。

 

このブログを読んでくれてたらいいのに、なんて思ってしまう。

読むわけないのに。

どうしたらいいのかな。

わからないや。

時が解決してくれるのを待つしかないのかな。