タワレコ
子どもの日
我が子の希望で天神パルコのタワレコへ
この前佐賀に行ったとき、佐賀のタワレコでも一つ買わされた。
一か月くらい前も博多のタワレコでなんか買わされた。
だから、今日は一つしか買わない、と言った。
決まったらレジ前まで来てと言って、レジの前で待つ。
なかなか来ない、しびれをきらし、途中まで迎えに行ったら、CDを3つ抱えてやってきた。
決められない、と。
買うけど、その代わり服は買わないぞというと、もう服はいい、こっちが欲しい、と。
結局、3枚のCDを買った。
しかし、いまどきCDかよ、と思いながら。
こんな時代に、スマホ一つ持ってたら、音楽なんてなんでも聴けるじゃないかと。
CDなんて私の時代だ。
気が付けばCDの山だった。
引っ越しするたびに、本と一緒で売ったり処分したりで、今はもうあまり残っていない。
無駄だなあと思いながらも、我が子がCDを購入しているのを見て、結局人は同じことを繰り返していくのだ、その中で、ほんの少しずつしか進歩しない。いや、進歩なんてしていないのでは。
昨日、テレビのインタビューに答えていたウクライナの兄弟を思い出した。
17歳の兄は、「ウクライナのために戦いたい」、15歳の弟は、「戦っても無意味だ。もっと別の方法で、戦わない方法で解決したい」二人には「早く戦争を終わらせたい」という共通の気持ちはあるのだが、こんなに意見が分かれている。弟の意見がまっとうに思えるけど、「別の方法」では歯が立たない相手なのかもしれない。
歴史は繰り返している。人は全く進歩していない。
このどうしようもない世界に私たちは生きている。
環境問題も、SDGsも、兵器で戦っている間は無意味だ。
ミサイルを一つ飛ばすのにどれだけのエネルギーを浪費しているのか。
このミサイルは海に落ちた後は自然にかえるため、環境にやさしい廃棄物です、と誰が言えるのだろうか。
人間はおろかだ。
2000年前の人間から何一つ進歩していない。
そんなことを帰りの車で考えた。
結局人なんて、自己中なのだ。
自己中だから、こんな世の中になる。
ほんの一瞬でもいいからすべての人が、同じ瞬間に優しい心をもつことができたら、同じ音楽を聴いて心を通わせることができたら、戦争なんて起きないのかもしれない。
No music, No life
このフレーズは私の時代も、我が子の世代にもタワレコに存在している。