憎しみあるところに平和を

秋晴れ、外は暑かった。

我が子は朝から近所の子たちとよく遊んでいた。外が暑いから家で遊んでいたが、3人いたけどすごく静かに遊んでいた。おかげで少しはかどった。まだまだイントロのとこしか書けてないが、結局英語で書くことにしたから少し時間をかけてやることにした。できることならこの3月で終わりにしたかったのだが、だから日本語で良かったのだが、なんかスッキリことが運んでいかない。こっちが焦りすぎているのか、返事をくれない何か理由があるのか、よくわからないが、こんなにメールをスルーされるともうどうでもいいやという気持ちにもなってしまう。どうでもよくないのだが。物事が順調にいかなくなるとまた悪循環が起こってくるからそういうことだけは避けたい。まあ、もう悪循環になっているんだけど。返事が来ないから気持ちが悶々とする。そして、イラっとする。うまくいかないや。こんなことなら、はじめなきゃよかったとかもうやめてしまおうかとも思ってしまうが、いやいやもう少し頑張ろう、といつも仕切り直している。でも確実に気持ちは下がっているのと不信感とでいっぱいになりつつある。

これも思い込みなのかな。

 

昼、我が子の希望でくら寿司にいった。ビッくらポンでマスキングテープをゲットしたかったようだが、こちらもそう簡単にはいかない。まず、そのゲームをやるためには皿を5皿平らげなければならない。二人だとこれは高いハードルだ。やっと2回できたところで、ついさっき来た隣のテーブルのお客さんはまあ人数も多かったしだろうけど、来て数分後には1回目のビッくらポンがはじまり、続けざまに3回くらいしててそのうち2回当たりが出ていた。我が子は頑張って2回やったがはずればかり。もう少し頑張ろうと必死で3回目を挑戦できたが、それもはずれ。もう無理だということであきらめた。次はもっと人を誘っていこうねと約束する。

しかし、刺身が苦手な自分は寿司屋に行っても食べるものがない。昔は白身の魚だといけたのだが、最近はすべての生魚がだめになってきた。甲殻類だけだったのが、川魚も無理だとわかり、そして最後は刺身もダメになった。大人になったら食べられるものが増えていくはずなのに、自分は大人になればなるほど偏食がひどくなっている気がする。今日はたまごと、ブロッコリーサラダを中心に皿を増やした。あとはデザートだったが、これもまた、好きなものがなかった。我が子はアップルマンゴー、自分はプリンタルトにした。プリンタルトは美味しかった。

帰りに我が子の靴を買った。前に光るタイプの靴を買ったが、学校で友達に何か言われたのか、履いていっちゃダメかもしれないから、と言い出し、破れた靴を履いていくのでそれを見かねて買ってやった。しかし、自分は3年前に買った靴を履き続けているのに我が子はこの数年でいったい何足靴を買い替えただろうかと思った。

 

夕方は我が子のピアノの送迎。

待っている間に、世界一素敵な学校 という本を読んだ。

読んでみてやっぱり素敵な学校だと思った。こんな学校に通わせたいと思った。福岡にあるらしいが、我が子に聞いたら前は行きたいといっていたが今はどうでもよいらしい。我が子にとっては学校とはこんなものだという定義を知ったからなのだろう。どこの小学校行っても一緒だと今は思っているのかも。福岡の学校見たら、きっと驚くだろうな。

自分が我が子にのぞむことはなんだろう。もちろん幸せに生きて行ってくれればそれだけでいいのだが、できたら、型にはまらない考え方ができる人になってほしいという思いはもっている。誰も差別することなく、受け入れられる寛容さをはぐくんでいってもらいたいと思う。

そうあってほしいし、自分もそうありたいと思う。

今日、ある方が、あのお祈りをツイートしていた。自分が好きな祈りのフレーズの一つだ。ちょっと忘れていたけど、やっぱり最後に必要なのは祈りなのかもしれない。