巡る思い

我が子の運動会が終わった。

奇跡的に天気が回復したおかげで、今年も運動会で我が子の姿を見ることができた。低学年の頃は、我が子の出番を見逃してはならぬという強い気持ちで参加していたが、学年が上がるにつれて慣れてきたのか、ゆとりをもって見ることができるようになった。

そして考えた。

運動会って誰のために何のために行っているんだろう。

運動会プログラムには教育の一環と書いてある。子供たちの何に役に立っているのだろうか。なぜそんなことを考えたかというと、運動会のスタイルが、自分が子供のころの運動会のスタイルと全く変わっていないからである。赤・白に分かれて競いあう、応援合戦も全く変わっていない。低学年は玉入れ、中学年はハリケーン(呼び名は変わったのか、自分のころは”台風の目”だった)、高学年は騎馬戦。組体操こそなかったが、30年以上たっても変化がないのはどうなのだろう。

先日、新聞にある私立の小学校が紹介されていた。こんな学校もあるのかと思ったけど、今の時代にはこんな学校こそ必要なんじゃないかと思った。その学校は、教員は先生ではなく大人であり、子供たちからも○○先生と呼ばれるのではなくあだ名で呼ばれるらしい。宿題もテストも通知表もなく、今日何をするかは生徒が話し合って決める、行事もすべて話し合いで内容を決めていくらしい。その行事をするかしないか、というところから決めるらしい。例えば運動会をするかしないか、するならどんなことをやるか、子供たちが自分たちで決定していくらしい。大人主導の教育ではなく、子供主体の教育をしていかないと、日本は世界からどんどん取り残されていくのではないか、そんなことを考えてしまった。

もっといろんなことを考えた、ここに書ききれないくらいの思いがなぜか運動会中頭の中をどんどん過っていた。

人生について、これからの生き方について、そして我が子の未来について、ちょっと真剣に考えて結論を出そう、そう思った。