神様のいうとおり

コロナウイルスの話題でつきない。

毎日毎日、ついニュースにくぎ付けになる。

そんな時、ある記事を目にした。

今回の騒動で、二酸化炭素排出量が前年と比較して億単位で減少したということだ。

実際の数値は忘れてしまったが、ちょっと衝撃を受けた。そして、ここに何だか神の意志を感じたような気がした。

 

自分はカトリック信者だ。でも胸張って宣言できるほど神の御意志のとおりに生活ができているわけではないから、信者といえるほどではないかもしれない。

でも、今回のこの感染症騒動に神の計画を多少なりとも感じ取ったのには、できの悪い信者なりに、いろいろなことを考え、自分なりに納得したからでもある。

 

今回、感染症パンデミックのごとく世界中を脅威にさらしている。

そして人々はうつらないようにと外出を控えたり人との接触を控えたり。企業は経営を縮小し、工場の稼働を一時的にストップする。

車、飛行機などの乗り物使用も減る。これらのことから起こってくるのは、排出ガスの減少だ。グレタさんが大人に訴えた、子供たちの未来のために環境を破壊するのをやめろと。あれを見て、具体的な行動を起こそうとした大人たちが果たしてどれほどいただろうか。自分もその一人ではある。グレタさんの言うとおりだと思いはしたものの、車の完全な不使用には至らず、ベジタリアンにもなれず、せめてできたことといえば、今まで多少なりとも心がけていたごみの分別と、マイバッグの使用くらいだ。

それがここにきて、自分を含むすべての大人たちが、感染症を予防するため、行動を控えるようになった。それが結果的に排出ガス削減につながったということだ。やればできるではないか、グレタさんだけでなく、そう思った人々はたくさんいるのではないだろうか。多くの犠牲(経済効果への打撃など)がそれに伴ったことだとは思うが、排出ガス削減は努力すれば、可能なのだ。そのことを神は我々にお示しになったのではないだろうか。新感染症という大きな打撃をあたえたとはいえ、なかなか行動できない我々に警鐘をならしたのかもしれない。

仕事だってそうだ。無理せず働くことが大事で、たいていの仕事は自分がいなくても成り立つのだ。組織というものはそういうものだ、以前、体調を崩したとき、某学長が自分に言ってくれた言葉だ。だから体調が悪いときは遠慮なく休めと言ってくれた。

 

人間が生きるために必要なことってなんだろう。

効果的な利他主義という生き方や、カトリック信者としてマザーのように神のみ旨に沿って生活する生き方を全うすることはできない、自分はまだまだ不完全な人間だから。(余談だが、我が子の洗礼名はマザーテレサだ。自分にはできなかった、マザーのような神のみ旨にそって行動ができるような子になってほしいとの思いを込めた。) でも、人間にとって、ちょうど神が示すような善というものが重要であり、善というものを目指すために正しさが求められるのだとすれば、道徳的に生きることが人間にとっての目指す道であり、そうなると、大きな利益とかは必要なく、生きるために必要なものを必要なだけ求め、そして、できるだけ利他的に行動でき、月並みだけど、子供たちに今のままの地球で生きられる未来を残せて行けたらそれでよいのではないだろうか、そんなことを、いろんな本を読んで考えた。

J.M.ミルを読んでいると、宗教のいろんな弱点が浮き彫りになっていくが、それでも人が宗教を信じる理由はなんだろう。キリスト教は確かに復活を信じているが、少なくとも利他的に行動しようとするきっかけを作ってくれはする。今はただ、自己中心的にならないように行動するだけにとどまっているかもしれないが、もう少し発展的な考え方や価値観が持てるようになったら、自分もシンガーのような効果的な利他主義者になれる可能性はあるのかもしれない。

人生はやぱり奥深い、修行の道である、そう実感した。